驚異の部屋 - 博物館を廻って見えるもの
ロンドンで暮らしていた頃、あなたは一体何をしていたのか?と訪ねられると「たぶん、人より多くMuseumを観ていました」という答えくらいしか思いつけないほど、時間の許す限り博物館や美術館へと足を運んでいました。
暇があれば好きな博物館に何度も通い。ちょっとした休暇が取れれば、ヨーロッパ各国を回りながら、観たい博物館のある場所を基準に宿を取り。気がつけば博物館を観て回る事がすっかり趣味になってしまったことには少し自分でも驚きつつ、本当に馬鹿みたいにその魅力に惹かれています。
ヨーロッパ各国各地には、大規模な国営のメジャー博物館・美術館から、一体誰が何の為にと目を疑いたくなる程の、不思議で奇妙な品々を納めたマイナー博物館まで、実に様々なコンセプトの蒐集品が、歴史的な建造物の中、とても美しくディスプレイされていて。「若年者の僕が、今ただ一つ確信を持って言えるのは、世界は素晴らしい博物館に溢れている」ということです。
足の痛みに耐えながら展示品を眺め、説明を読む為に各国語の電子辞書を購入し、数え上げれば写真を撮ってメモした場所だけで80箇所程の博物館をこれまで訪ねてきたのですが、そもそもこれ程までに僕の心を揺さぶり、理不尽なほどに魅力的なこの「博物館」というやつは、一体どこからやってきたのか?
そんな「博物館」の発祥を考えるとき、どうしても訪ねておかねばならなかった場所、それがここで紹介するアンブラス城とその内部 " Kunst und Wunderkammer - ヴンダーカンマー / 驚異陳列室 " です。日本では驚異の部屋という言葉に訳されている事も多いのですが、まさに僕のヨーロッパの旅の目的地であり、そこは博物館が産まれる以前の素晴らしき混沌を今に残す不思議な場所でした。
博物館発祥の場所 - " ヴンダーカンマー / 驚異陳列室 "
- ※ アンブラス城の外観
アルプスと美しい自然に囲まれたオーストリアのチロル地方に位置するInnsbruck / インスブルック。この街には、かつて650年もの間オーストリアに君臨したハプスブルグ家出身のチロルの大公 " フェルディナント2世 " のコレクションを含むアンブラス城がそびえます。
時代は16世紀。神聖ローマの皇帝フェルディナント1世の第三子としてリンツで生まれた彼は、ハプスブルグ家において例外的な恋愛結婚を成就させたことで有名な人物でした。街の豪商の娘であったフィリピーナと、その間に設けた息子の為、以前からあったアンブラス城を中世様式からルネッサンス様式へと改築させ、そこで自ら暮らし始まった奇妙な蒐集。
そんな彼の膨大なコレクションが納められたこの城の別館へと入ると、中世の非常に珍しい鎧や武器などのコレクションが美しく出迎えてくれます。
- ※ 15世紀〜16世紀にかけての武具のコレクション。
ギラギラと光る鎧兜、それを着た兵士たちに見送られながら、一つ、また一つと部屋を抜け、2階へと続く階段を登ると、突如開けた視界、美しい自然と城が眼下に広がる外廊下、そしてその先に、開け放たれた一つのドアが現れます。そう、この部屋こそ大公自らが " Kunst und Wunderkammer / 驚異陳列室 " と呼んだ博物館の祖先。
- ※ 2Fの " Kunst und Wunderkammer / 驚異陳列室 " へと続く回廊。
ようやくたどり着いたその部屋に、すっと足を踏み込むと、右手壁際には当時、大公の好奇心を満たしたであろう奇妙な絵画やオブジェの数々が並び、美しいサンゴや貝殻で作られた奇妙なオブジェに目を奪われていると、その横に立つ木製の骸骨が奇妙な表情でニヤニヤとこちらをのぞきこみます。
居心地の悪さを感じながら、視線を部屋の中央へと移せば、静かに佇むいくつものキャビネットたち、そこには16世紀に集められたとは到底思えない、世の中のあらゆるモノモノが、、、かろうじて、「素材ごと分けられる」という秩序の下に並べられていました。
当時のヨーロッパからはほとんど交流のなかったであろう異国の民族衣装やオブジェ達は、現在の民俗学博物館を思わせ。16世紀当時の美しい科学の道具達が科学革命の始まりを告げると。奇妙な楽器の数々は、その美しさを今に届けます。
細密な装飾の施されたオブジェの数々が過去から続く匠の技を伝え。自然と人工とが組み合わさって出来上がった不可解な工芸品の数々は、今で尚、新鮮さを伴って見る者の心を摑みます。
ふと振り向けば、壁には奇妙な絵画の数々が掛けられています。それらはまだ博物館と美術館とが別れる以前の痕跡。槍試合で目を貫かれた男、ドラキュラ伯爵の肖像画、狼男とその家族など、大公の琴線に触れた奇妙で珍しい絵画の数々はまるで小さな美術館のようで。視線を上げれば天井から吊られた動物の剥製と不思議な自然物のオブジェ、自然への興味。そして、その先の小部屋に並ぶローマ時代の彫刻群が、考古への憧れと時間の記憶を今に残します。
こんな風にして、アンブラス城が見せてくれるのは、博物館が発生する以前、博物館が個人の蒐集品の中にあったというその源泉で。同時に僕がこれまで出会った各地の博物館の記憶を呼び起こします。
天井から吊るされる鰐やサメの剥製は、自然への興味と敬意に満ちた、博物学の面影残る自然史博物館のようで。キャビネットに並ぶ品々に科学博物館でみた学者達の人生を想い、民族学博物館が秘めた異国への熱量感じ。ローマ時代の彫刻群に考古学博物館で吸った空気の香りを思い出し。
飾られる奇妙な絵画に、幾度となく通った美術館の色彩を重ね合わせると。そこにははっきりと、博物館・美術館の原点を見て取ることができるのです。
それは当時、未だ今より世界の成り立ちがシンプルだったからなのか、あるいは個人の強烈な好奇心の賜物だったのか、その明確な答えを僕は知りませんが、フェルディナント2世が彼のコレクションを通して、この大きな世界のあらゆる部分を観る事で、彼にとっての世界を認識しようとしていたのではないかと考えると非常に面白く。
沢山の博物館を巡ることで、ようやくそんな感動を、ぼやけた輪郭を伴って感じることができるこの場所は、博物館を巡る旅の一つの目的地として今日も静かにそのドアを開いています。
科学とテクノロジーの進歩は、僕たちの知るべき情報を、知るべき世界を、宇宙が広がるくらいのとんでもないスピードで日々どんどんと大きくしてしまって。簡単に何かを理解する事が難しくなっていく一方ですが、それでもこの様な世界の捉え方を目の当たりにすると、人間の沸き上がる好奇心の在り方が変わらずにその根底に流れているのだと思え、脳と心がほぐれるような気がします。
などといったことを考えながら名残惜しくもこの城を後にすると、城を囲む新緑に満ちた公園で、そんな僕の感動を笑い飛ばすかの様に、純白の孔雀がその繊細な羽を広げ、今を生きる生命の力強い美しさを見せてくれました。
全くもって好奇心は尽きません。